対話力について
泉谷さんの提唱する「対話の4前提」に共感します。
1. 相手を他者として認識している
2. 他者と水平的関係か
3. 他者を知りたいか
4. 自分が変わりたいか
第2次鹿角市学校教育振興基本計画(令和3〜12年度)の中にも、「対話」という言葉は6回使用されています。
9月議会の一般質問の中でも、義務教育についての質問をする予定です。(→ 一般質問要旨はこちら)
子供達には、世の中を民主的に建設的な方向に発展させるために必要な、「対話」について体系的・実践的な学びを深めて欲しいと思います。
②人格形成
「汝何のためにここにありや」
〜いつ、どんな時、どこで、誰に、この問いを発せられても即座に断言できる自覚ある生活を送ってもらいたい。〜
これは、秋田高校の校長を努めた鈴木 健次郎 氏が生徒達に常に問うていた言葉だそうで、第2次鹿角市学校教育振興基本計画(令和3〜12年度)の5ページ下段においても、以下のような形で引用されています。
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施策の柱① なぜ学ぶのかを明確にした、主体的・対話的で深い学びの推進
〜中略〜
教師には、「なぜ学ぶのか?」「汝何のためにここに在るのか」といった学びの動機付けを行うナビゲーターとしての働きを求めます。また、鹿角市で学ぶ児童生徒一人一人には、自己実現のために、何をどのように学ぶのかというビジョンをもたせます。
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【参考】鹿角市学校教育振興基本計画策定にあたり、参照する国と県の計画
秋田県:第3期あきたの教育振興に関する基本計画(令和2~6年度)
この言葉を人生に当てはめたとき、アンパンマンのマーチの歌詞の一節が思い浮かびます。(→歌詞はこちら →曲はこちら)
「なんのために生まれて、なにをして生きるのか、こたえられないなんて、そんなのは嫌だ!」
さて、教育基本法には、教育の目的が以下のように定められています。
「第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
「汝何のためにここにありや」は、日本の教育の目的である人格の完成を目指すために、一人一人が自分自身に問いかけるべき言葉でもあるのかなと思います。
③平等な教育とは
教育の平等について日本国憲法では以下のように定められています。
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
また、教育基本法においては、以下のように機会の平等が定められています。
第四条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
したがって、私は日本国の考え方として、教育に求めるのは、必ずしも同じ年齢の子供達に同じ内容の授業をするという意味での機会の平等ではなく、能力に応じた学びの場を提供するという観点からの機会の平等であると考えます。
実際の運用上は、きめ細やかな機会の平等を提供することは、難しい側面があることは理解しますし、これまで、どちらかというと”人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない”という部分に注力されていた面もあると思います。
ただ、教育の提供者は、現状を常に点検し、あくまで能力に応じた機会の平等を追求する姿勢を強くもつことで、これまで運用上の障壁であったいくつかの部分を、IT等の最新技術を活用することで解決し、画一的な教育から脱却していけるのではないかと思います。
また、少し派生すると、大人達が目的を明確にもち、実践する姿勢を見せること自体が、教育基本法が定める目的を目指すにあたって、重要な教育機会になるのではないかとも思います。
そういう意味では、自分が社会をより良くするために貢献したいという思いのもと、選挙に立候補することや、投票に行くことも、子供達をはじめ、社会に大切な教育機会を提供していると言えるのではないかと思います。もちろん、その逆もしかり。
鹿角市学校教育振興基本計画は、よく作り込まれていると思います。
よい計画は、高い次元で実践されるべきだと思います。
そして、実践にあたってのスピード感も大切だと思います。
そのために、様々な決断を下し、現場を鼓舞をするのが、トップである教育長や市長の役割だと思います。