令和3年4月より鹿角市議会議員の笹本真司です。活動情報を発信します!

ぜひ一読ください! 笹本真司の生い立ちと鹿角市議会議員選挙に立候補した経緯(チラシ裏面 テキスト形式)

笹本真司の生い立ち

昭和60年7月29日 広島県尾道市生まれ、以後広島市で育つ。

古田幼稚園: 同じ集合住宅の幼稚園〜小学生のグループの最年少で野球やドッジボールで遊んでいました。

基本的に負けず嫌いで、年長者と互角に競おうとしていつも負け、悔しくてよく泣いていました。なにか決めるとき自分の意見が通らないと、「なぜ?」とよく質問していました。いつも「年長者が正しいから」という結論になったのですが、とても不満で本当に正しいことであれば、説明すればみんなが納得できると信じていました。

広島市立古田小学校:好奇心は旺盛なほうで、アリの味を確かめたくて、実際に食べてみたりする子でした。クワガタ、樹木、魚といった自然と、電車、飛行機、ロケット、船といった乗り物が好きでした。しかし、学校の勉強はあまりせず友人からバカの笹本と呼ばれました。高学年の時、将来の夢はパイロットだったのですが、親から「飛行機の図鑑見るより勉強したほうがパイロットに近づくよ」と言われ、勉強に打ち込む様になりました。

成績が上がってくると、周囲の自分に対する目が変わってくるのも感じ、認められるには周囲に見える形で結果を残すことが大切だと肌で感じました。それ以降、常に結果を求める人生でした。

修道中学校:首席入学。書道部とサッカー部。全日本学生選抜書道展学会大賞、サッカー広島市総体2位。

修道高校:書道部と登山部。登山競技は茨城インターハイ2位。

東京工業大学工学部:テレビで見た琵琶湖鳥人間コンテストにあこがれ入学しサークルに入りました。3年生の時パイロットとして出場も岸壁に墜落し踵(かかと)を粉砕骨折、1ヶ月半入院しました。この時、多くの方に励まし支えられ人生観が変わりました。結果が全てでないということが身にしみました。一方で、幸福とはなんだろうと考える様になりました。

東京工業大学大学院理工学研究科(修士):1年間フィンランドに交換留学。学力や幸福度が世界的に高く、実際に勉強しながら暮らして見たいと思ったのがきっかけです。冬は1日中暗く−10℃前後の厳しい気候ですが、教育、福祉、ITが浸透して質が高く、意図が明確かつ実用的な社会システムで、学ぶ事が多かったです。

東洋エンジニアリング(株):世界を渡り歩けることに魅力を感じて化学プラント建設会社に入社。7年中6年は海外(ベネズエラアメリカ、インドネシア)で過ごしました。気候も言葉も宗教も文化も生活水準も何から何まで異なる環境で刺激的な毎日でした。一方で、休暇等で日本に戻るたびに、途上国よりはるかに豊かで安全なのに、全体的に活気が感じられず悲しかったです。一度きりの人生なら自分の生まれ育った国で、特に大都市ではなく地方で役に立ちたいと思い会社を退職しました。

 

鹿角に来てからの経緯

会社をやめて、東京の社会人塾に通っていたときの縁で3年前に鹿角に来ました。いつかは独立をと考えており、経営を通じた地域再生を勉強させてもらうため湯瀬ホテルに入社させてもらいました。住んでみてまず、鹿角は人が穏やかで温かく、居心地がいいところだなと思いました。また、山菜を自分で採って食べるなんて今では我が家の日常になりつつありますが、なんて贅沢なことだろうと思います。花輪ばやしの熱気と地域の方の情熱にも感動しました。空気が美味しく、夏は涼しく、ゴキブリがあまりでない(これは妻)、温泉がたくさんあるし、スキー場も近い。十和田、八幡平を中心に息を呑むほど美しい自然で世界的な観光地に引けを取らないと思いました。温泉旅館での仕事を通じて、鹿角という地で企業を経営し収益をだしていくとはどういうことなのかといったことや、コロナ禍など大打撃があった際に、企業として雇用を守っていくことの大切さを学びました。一方で目の前の仕事に精一杯で、一企業だけでなく、地域全体としてどう鹿角を盛り上げて行くかという課題には取り組めていませんでした。仕事の一環で市の観光部会や小中高校生と交流していく中で、自分が本当にやりたいのは地域の底上げであり、絶対にこれまでの自分の経験や能力を活かして貢献できると確信しました。全くの外から来た者にも関わらず、応援してくださる方が多くいらっしゃり、嬉しくてじーんときました。外から来た者の視点だからこそ、地元の方の気づいていない魅力を掘り起こし、地域全体の収益拡大と活力を育て、それを教育、社会福祉にまわして好循環を作りたいです。私事ですが6月には妻が第一子をこちらで出産予定です。私も妻もこの地が好きです。この鹿角で子育てをしながら、地域の課題と向き合い、皆様のご協力をいただきながら頑張りたいです。